Jr.


 ゴーイングメリー号は、その日、小さな街に立ち寄った。
 買い物なら付き合います、と申し出たサンジを丁重に断り、いつもなら言われもしないのに付き合わせるゾロを置いていき、ナミは出掛ける。
 時間どおりに全員が船に揃うと、すぐに出航。
 街で食料を買い足したばかりなので、今日の夕食はいつもより豪華である。
 楽しい夕食。談笑がふと途切れたとき、ナミが言い出した。
「ねぇ、ルフィ。頼みたいことがあるんだけど。」
 ナミから「頼み」という言葉が出るのは珍しい。ルフィは興味深げに問い返す。
「何だ?」
「この船にもう一人、仲間を増やしてもいい?」
「おう、いいぞ。」
 ルフィはすぐに応える。
「で、どんなヤツ?」
 応えた後にそう尋ねるのは、ルフィらしい。
「それはまだよくわからないんだけど。」
 曖昧なナミの応え。
「女性ですか?」
 そう尋ねたのはサンジだった。
「それもまだわからないわ。」
「わけのわからん動物か?」
 ウソップが、ナミに聞く。
「人間よ。」
 それにしては、ナミの言葉はあやふや過ぎる。
「もっとわかりやすく説明しろ。」
 スプーンでスープを口元に運びながら、ゾロが尋ねる。
「私、赤ちゃんが出来たの。」
 カチャン。ゾロの手から、スプーンが落ちる。
 確かに、わかりやすい説明。
 動きが止まったゾロに、まずはサンジの踵落とし。続いてルフィのゴムゴムの鞭、そしてウソップハンマー。
「だ、大丈夫か?」
 抵抗することなく床に沈められたゾロに、チョッパーが恐る恐る声をかける。
 大丈夫だ。そう応えようとしたゾロの目の前に、ナミの笑顔。
「責任取ってくれるわよね。」
 ゾロは反撃することなく、その場で気を失った。


 ゾロが目を覚ましたのは、2、3分経ってからのことだった。
「サンジ、巨大なウエディングケーキ作れよ。」
 ルフィの楽しそうな声が耳に入る。
「なんでおれがこいつのためにそんなことをセッティングしなくちゃなんねぇんだよ。」
 サンジが怒鳴りながらゾロを指差す。
「サンジ君、私のためでもダメ?」
「ナミさんのためでしたら喜んで。いっそのこと、新郎はおれにしておきませんか?」
「そうね。次回があったら考えておくわ。」
 暗に今回はダメ、とナミは言っているのだが。考えておく、の言葉が、サンジを喜ばせる。もちろん次回があっても考えておくだけではあるが。
 ゾロは起き上がると、無言のままドカッと椅子に座り直した。
「あっ、ゾロ。結婚式するぞ。」
 誰の?などとボケるつもりはなかった。ゾロは黙ったままルフィの話を聞く。
「明日、たくさん島がある場所を通るらしいから、そこで買い物して、明後日に結婚式をする。」
「さっき寄った街で聞いてきたんだけど、この先は小さな島が点在していて、その場所場所によって色々な物が買えるらしいの。これが、買い物マップよ。」
 ナミが地図をテーブルに広げる。地図には20近くの数の島と、それぞれのところで何を売っているかが細かく描かれていた。
「この地図、くれ。おれたちが準備する。」
 ルフィに言われ、ナミは地図を畳むとウソップに差し出した。
「ルフィに渡すとどうなるかわからないからね。」
「おう、任せておけ。」
 ウソップは地図を受け取ると、大事そうにカバンの中に仕舞い込んだ。
「楽しみだな。」
 しししし、とルフィが笑う。
「ホント、楽しみね。」
 ナミがゾロに向かって言う。
 ゾロは無言のまま立ち上がる。
「ゾロ?」
 反応が気になり、ナミは名前を呼んでみる。
 ゾロは何も言わずに、ただそっとナミの頭に手を置いた。
 楽しみだな、なんて言葉、恥ずかし過ぎて出せるわけなどない。だからこれが、ゾロにとっては精一杯の返事。
 ゾロはそのまま、キッチンから出て行く。
 ナミは幸せそうに、ニコッと笑った。


 真夜中を過ぎた時間。
 ゾロはこっそり部屋を抜け出すと、ナミの部屋へと忍び込んだ。
 こうなった以上、堂々と入っていったところで問題はなかったが、やはりそれは自分なりのけじめとしてナミとは隠れて会うことを続けようと思ったからだ。
「早かったわね。何か飲む?」
 ナミがソファからバーへと移動する。
「ああ。」
 短く応えたゾロに、ナミは瓶ごと酒を渡した。
 普段見慣れているものとは少し形が違う瓶を手にし、ゾロはそのラベルを眺めてみた。極上のシャンパンだ。
「今日は随分と気前がいいな。」
「お祝いだからよ。」
 ゾロは何も応えなかったが、ニッと笑うと、早速シャンパンの栓を開けた。
「おまえも飲むか?」
「せっかくだけど止めておく。妊娠中のアルコールの摂取は胎児に悪いから。」
「そうか。」
 ゾロはごくりと一口、シャンパンを飲み込んだ。
「ねぇ、ゾロ。」
「ん?何だ?」
 ナミが、何か言い出しにくそうにしている。
 ゾロは飲みながら、ナミの様子を伺う。
 ナミは少しの間黙り込んでいたが、ようやく言葉を出した。
「産んでもいい?」
「いいに決まってるだろう。」
 ゾロが即答する。
「本当に?」
「産むのはおれじゃなくておまえだ。おまえが産んでもいいっていうなら、そうすればいい。」
「そうじゃなくて。ゾロは迷惑じゃない?」
「別に。」
 ゾロは足りない言葉を補うために、ナミの肩を抱き寄せた。
 ゾロの温もりが、ナミを安心させる。
「子供の名前、考えてね。」
「おれがか?」
「そう。」
 急に言われ、ゾロは思いついた名前を口に出す。
「男ならルフィ。女ならベルメール……だったよな。それがおれの知ってる最良の名前だ。」
「知ってる名前じゃなくて、これから付ける名前を言わなくちゃ。」
 ナミが、クスクス笑いながら言う。
「これ以上の名前、おれに考えられるわけないだろう。」
「まあ、あんたにしては上出来だけどね。でも、男だったらどうするの?同じ名前の人が船に2人も居たら、都合悪くない?」
「じゃあ、ルフィJr.だ。」
「何、それ。センス無いわね。」
 そうは言ったが、反対する気もないらしい。ナミは楽しげに笑う。
 つられてゾロも、静かに笑った。


 翌日、いくつかの島に寄り、たくさんの買い物をした。
 ルフィ、ウソップ、サンジ、チョッパーが、慌しく結婚式の準備をしているのを、ナミは嬉しそうに眺める。
 ゾロはと言うと、いつもと変わらず眠りこけている。
 そうして忙しい一日が過ぎた。
 その日の夜は、ゾロは部屋に来ないことになっていた。明日の朝、ナミを部屋に迎えに来るところから結婚式が始まるらしい。
 壁にかけられたウエディングドレス。
 ナミは幸せな夢を見ながら眠りについた。


 目が覚めるとすぐに、ナミはバスルームへと向かった。
 シャワーを浴び、身体を清める。
 すぐに部屋に戻ると、ウエディングドレスを着る。
 もう少ししたら、タキシードを着たゾロが迎えに来てくれる。ゾロのタキシード姿を想像し、ナミはクスクスと笑う。
 だが、いくら待っても、ゾロが現れる気配はなかった。
 いつの間にか、時刻は昼を過ぎている。いくら何でも遅過ぎる。
 何かあったのだろうか?心配になってきた時、ドアが開かれた。
 ナミが、嬉しそうにドアの方を見る。
 だがそこに居たのは、来るはずのゾロではなかった。ルフィだ。
「ナミ、ごめん。ゾロが居ないんだ。」
「ゾロが居ない?」
 ナミが言われたとおりのことを聞き返す。
「照れてどこかに隠れてるんじゃないかと思って船中捜したけど、居ないんだ。」
 ゾロならここに居る。ルフィのそう言われるかと思っていた僅かな期待は、すぐに崩された。
「そうか。居ないんだ。」
 落胆の顔。ゾロは本当に居なくなってしまったことを、全員が感じ取った。
「あの……ゾロのヤツ、夕べ地図を貸してくれって持っていったんだ。だから、何かあって船から落ちたんだとしても、待てば帰ってくるかも……」
 ウソップが、どうにかフォローしようとする。どうしてこういうときに限って上手いウソが言えないんだ?そうイラつきを覚えながら。
 それ以上、誰も何も言えなかった。
 場がシンと静まり返る。
 嫌な雰囲気。
 ナミは顔を上げると、仲間に笑ってみせた。
「ゴメンね、ルフィ。私のせいで、この船の剣士を逃がしちゃって。」
 ナミが、殊更明るく声を出す。
 ゾロが居なくなった。その辛い事実を何とか上手く自分の心の中で誤魔化すかのように。
 けれども、どうにもならなくて。ナミの心を、暗い影がよぎる。
 急に、腹部に激痛を感じた。このまま、ここには何もなかったことになればいいのに。ナミはそう思う。
「別に構わん。」
 ルフィが応える。
「でも、絶対に男を産めよ。そいつがこの船の剣豪になるんだから。」
 ナミがルフィを見上げる。子供を堕ろそうとしたこと、見抜いたの?もちろん、ルフィはそんなことを考えて言った訳ではないことはわかっていたが。
「大丈夫。あなたたちが居てくれるなら。」
 先ほどの強がりとは違う、本音。この仲間となら、強く生きていられる。
「サンジ君がせっかく美味しいものを用意してくれたんだから、パーティーをしましょう。新しい仲間の歓迎会よ。少し早いけどね。」
 ほんの少しだけ悲しみが混じった笑顔。
「よし、宴会だ!」
 ルフィの掛け声と共に、食べ物の準備がされてある甲板へと出る。
 ナミも甲板へと出ると、手に持っていたブーケを海に向かって高く放り投げた。


 ゾロがゴーイングメリー号から姿を消して、1年が経った。
「船の進路を確認するから、Jr.を見てて。」
「わかった。」
 ウソップの作ったゆりかごの横に、チョッパーが立つ。今ではすっかり、医者兼ベビーシッターの役に嵌っている。
「何か来るぞ!」
 見張りをしていたルフィが叫ぶ。
 海の向こうから、何かが物凄い勢いで向かってきている。
 その正体が小さな手漕船だとわかったのは、その船がゴーイングメリー号に衝突した後のことだった。
「何か突っ込んで来たわ。ウソップ、急いで穴を塞ぎに行って。サンジ君は念のため戦闘体勢。チョッパーはそのままお願い。ルフィは騒ぎが大きくなるから動かないで。」
 ナミは的確に指示を出すと、ウソップに続いて船の下へとおりていこうとした。
 だがナミたちが向かうより先に、階段から何者かが上がってきた。
 全員が、緊張する。
「わりぃ。穴、開けちまった。」
 上がってきたのは、ゾロだった。
「どこ行ってたんだ!」
 ルフィが怒鳴りながらゾロに攻撃する。
 ゾロはそれをヒョイと避ける。どうやらルフィも、本気でゾロを倒そうとはしていなかったらしい。
「ん……ああ、ちょっとな。」
 ゾロは、本当にちょっとそこで買い物をして来た、というような態度だった。
「てめぇは……」
 この1年、ナミを支え続けてきたサンジが、ゾロに蹴りを入れる。
 ゾロは後方に吹っ飛んだが、それほどダメージはなかったらしい。すぐに起き上がると、チョッパーの方へと向かって行った。正確には、チョッパーの横にあるゆりかごに向かって、だ。
「名前は?」
 ゆりかごを覗き込みながら、ゾロは尋ねる。
「Jr.」
 チョッパーが応える。
「そうか。おれが言ったとおりに付けてくれたんだな。」
 ゾロが、笑顔でナミを見る。
「違うわよ。誰があんたの言ったとおりにするものですか。」
 ナミが、ゾロに走り寄る。そして、ギュッと強く、ゾロに抱きついた。
「彼の名前は、ロロノア・ゾロJr.よ。将来の大剣豪なんだから、しっかり名前を覚えておきなさい。」
「それは楽しみだな。」
 ゾロが、ナミを抱き締め返す。
 ゾロに聞きたいことは山ほどあった。だがそれは、全てナミに任せるとしよう。船長以下海賊団たちは、一先ず船の補修のため、階段を下りていった。


 いつもはナミの側に居るゾロJr.をチョッパーに預け、ナミは部屋に居た。すぐ側に、ゾロも居る。一年ぶりの温もり。
「どうして居なくなったの?」
 ナミが尋ねる。
「好きで居なくなったわけじゃない。ただ、ちょっと買い物に出たら、迷子になっただけだ。」
 買い物?何を買ったの?そう尋ねようとしたナミの目の前に、ゾロは小さな箱を差し出した。箱の蓋を開く。中には、小さなリングが収められていた。
「結婚式には必要な物だと思ったから。」
 照れたように顔を背けながら、ゾロが言う。
「これのために、船から降りたの?」
「そうだ。」
「バッカみたい。それで結婚式どころか出産まで居ないなんて。」
「悪かった。」
 本当はもっと色々言いたいことはあったが、素直に謝られてしまうと責める気にもなれない。
 ナミは、キュッとゾロに抱きついた。
「明日、結婚式しよう。今度は迷子にならないように、朝まで離さないから。」
 これは明日まで取っておいて。ナミはリングの入った箱の蓋を閉める。
 ゾロはナミを抱き締め返すと、耳元で囁くように言った。
「結婚してくれ。幸せにしてやるから。」
 今更ながらのプロポーズ。
 ナミは幸せそうな笑顔をゾロに見せる。
「次は女の子が欲しいな。名前はベルメールよ。」
「わかった。約束する。」
 ゾロはそう応えると、誓いのキスをナミに贈った。

20011129thu.